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続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ④

5 歴史的事実に見る「神の方陣」の正当性とそのまとめ

(1) 「宇宙次元原理表(九九算表)は「方陣」の母体でもあり、[易]の真実の姿(原図)でもある。

「中国易」の基盤である「3次方陣図」(神話では、河図・洛書の図)これは

「宇宙次元原理表(九九算表)」を模して作られたミニチュア作品であり、

完全な風聞による最も簡単なサンプル作品と言えるものである。

「3次方陣図」がいつの時代に作られたのかは不明であるが、

残念ながら、人の手になる真っ赤な偽物である。

本稿第Ⅰ項でも記したが、おそらく、日本を去る時、

単なる[サンプル]を伏羲・神農あたりが持ち出したものか、

それとも、日本滞在中に聞いた風聞を元に、

帰国後自ら作ったものか、そのいずれかであろう。

なぜなら、[魔方陣]の秩序そのものが、実に不安定であり、

そこには何らの「自然の真実」、

「宇宙的な知」等を見出すことは叶わぬものだからである。

また何よりまして、それは単なる作られた「方陣サンプル」に過ぎない。

なぜなら、これは馬の背に印されていた[河図]、

亀の背中に描かれていた[洛書]と言われるものである。

しかし、この単なる「3次の魔方陣]からは、[易]にある「諸天象」である

<太極><両儀><四象><八卦>等を見出すことは、全く不可能である。

それが何よりの証拠である。

爾来数千年、易の真実を「河図」「洛書」から、

引っ張り出して、解いた者がいたであろうか。

「NO」である。誰もいないのである。

それは、ただの風聞や神話の類いであり、三千年、四千年も前の噂話を、

面白おもしろおかしく脚色して伝えたものであろう。

また、「易」から[五行説]が生まれたと言われているが、

過去における[易学]の専門研究者達が「易には五行の説無し」と言っている通り、

易の中には、それを示す事実真理は何もないのである。

まして、[3次魔方陣から五行を見出すことは叶わない]と

過去の研究者の誰もが認めているものである。

それは偶然、河図・洛書の「3次魔方陣」の真ん中に「5」が鎮座しているので、

その「5」を引っかけて五行説としたに過ぎないとも言われているものである。


 「神」の存在無くしては、何事も進展しない。

一切まとまらないことを知るべし。

人の創作した偽りの「魔方陣」(河図・洛書)に比べると、

日本の「神易」の元である[宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)]には、

上述の要素の全てが、しっかりと存在し、内蔵されているのである。

「易の諸象」である<太極><両儀><四象><八卦>はもちろん、

<五行>や<洪範九躊>(洪範は洪大な規範の意味。九躊は九種の分類を示す)まで、

全て容易な姿で内蔵し、開示しているという不思議を持つ表である。

故に私はこれを称し、「神の法陣]と呼んでいるのである。

それは、どのような民族、あらゆる階層の人々、たとえ女子・子供でも容易く学べる形、

即ち万国共通語である「数」で全てが語られ、示されているのである。

その中でも、とりわけ五行説については、驚くべき正確さ、緻密さを持って

「宇宙のエネルギーの五要素(エッセンス)」を示すものであることを、

はっきり開示し,その証をしっかり示しているのである。

まさに驚くべきものと言えよう。

日本人は頭脳優秀と言われている。

しかし、あまりにもお人好しで、他人の言うことを信じすぎるという面がある。

それは素直という素晴らしい性質であって、

そのことを否定するつもりはないが、長所即短所でもある。

激動する今の世界情勢似合って、自国の歴史や伝統文化への誇りなどは無く、

盲目的に西洋科学こそが、知の進歩であると思い込まされているという感がある。

このまま行けば、日本文明の未来は危うくなることは必然である。

まして学問の世界おいては、

自分の手での「真実の追究」という姿勢こそが肝腎なのであり、

やたらと外国の学説を無防備に取り入れ、自説として唱えているようでは

単なる学盲人出会って、ロボット的学者に過ぎないものである。

大いなる過去においても、大陸人のみごとな策略に引っかかり、

数千年という間、その刷り込み状態が解けず、文字や仏教をはじめ、

全ては大陸から伝わったもの、文明は大陸から戴いたものと教えられて、

それを鵜呑み状態で現在に至っているのである。

悲しいかな、今でも大陸の歴史学者達は、疑うこと無く従来からの学説を信じ切り、

そのように説いているのは、諸兄も十分にご承知のはずである。

しかし、それは過去のほん一時、おそらく紀元後からわずか500~800年間、

せいぜい遣唐使あたりまでであろう。

それ以前の日本、即ち紀元前の日本は、大陸人にとっては、憧れの国であって、

「神仙の国」「文治の国」[長生の国]として、名を馳せていたのであり、

それを考え合わせると、大陸文化の輸入期間わずか800年間と言えるのである。

そのはるか昔は、日本から全ては始まったのであり、

日本こそが超古代文明の担い手であったのである。

その事実は種々の古代文献に、しかと記されているのである。

例えば、「竹内古文書」「九鬼文書」「ホツマツタヱ」「カタカムナ古文書」、

それを傍証するものとしては、中国の奥地で発見された「契丹古伝文書」がある。

それらの全ては、「日本こそ古代文明の祖」であり、

「覇者であった」と伝えているのである。

またそれは、天地の数歌である「ひふみ・・・」祝詞の持つ超知が、

それをさらに裏書きしているのである。

ここで、さらにもう一つの「驚くべき真実」を告白しなければならない。

それは、この「宇宙次元原理表(ひふみ・・・九九算表)」は

「神の法陣」の<解き方サンプル図>であり、

一つの<指南説明図>であることを申し上げたい。

なぜなら、ここで見出した「解き方」や「発見した法則」は「神の数学」の根本原理であって、

それ故に「神の法陣」の数々を解き明かす際に用いらる大変有用なものだからである。

しかし、想うに、果たして何者がここまで用意周到な備えをし、

しかる後に「それを誰に教え、伝えようとしているのか」と言うことである。

「現実に存在する事実」は、何者かがそれを造り、書き遺したと言うことである。

それは、果たして何者であろうか。

それはちょうど、遺伝子(DNA)の超微細な一片の中に、

百科事典1000冊に匹敵するほどの膨大な情報が記録されていることと

同じような不思議さを持つものである。

一体誰が書き込み,無限に続く永久真理の図として、

宇宙のどこかに存在する知者達に、それを伝えようとしているのであろうか。


 さあ、現実に返り今の状態を見て見よう。

今、西洋科学知は限界に達していることは明らかである。

それ故に、ほとほと困った学者達は、宇宙の初めに神を置き、

神の御業として、これらを見始め、

真実の鍵、宇宙創世の鍵をここに求め始めたのである。

神を見捨てた科学は,結果的に偽りの世界(唯物科学・物質科学)には、

真実は無いとばかりに、今に至って再び神を呼び戻し始めている。

すなわち、「神の存在無くしては何事も進展しない,まとまらない」ことに、

今になり改めて気がついたのである。それはちょうど、

『エネルギーが物質化する際に,光が無ければ物質化することができない。

即ち、光は原子の中に存在し、

電子の軌道をコントロールしている』こととも相通じるものである。

そればかりか

『光は原子同士を結びつけて分子を形成する際の糊・接着剤の役目を果たしている。」のであり、

「ひとつの物質が誕生する大元の役を背負っている」のである。

要するに、『光が無ければ物質は誕生しない』ということであり、

したがって物質世界である「この世」は生まれてこなかったことを意味しているのである。

ここに於ける、光の役割とは、

我々の自然世界に於ける『神』の役目そのものではないのか。

そうなると、『聖書』の冒頭の言葉「まず光りありき」も

素直に肯定でき、その意味も解るのである。

また、太古日本の図表とされる「フトマニ」に記されている

『そこに使われている文字をひらがなに置き換えてみると、

顕れた文字は<神=美しい光=原子>である』と宮地正典氏(理学博士)は

その著「人類文明の秘宝『ホツマツタヱ』」の中で述べているが、

それもまた、確かに納得できるものでもある。

以上で本稿の筆を置くことにするが、「魔方陣」と『神の法陣』との関係や

歴史的事実やその背景をご理解いただけたことと思う。

次の講座『魔方陣と神の法陣その2』ではその本稿に入り

『易』に攻め入ってみることにしよう。



続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ③ 

4 「宇宙次元原理表」(ひふみ九九算表)を読み、真実を知る

易の真実3


Ⅰ 宇宙次元原理表(九九算表)を読む


 横の数字の流れを見て欲しい。

上から並ぶ数列は、等差「0」、等差「1」、等差「2」、等差「3」・・・と

順を追って差が一つずつ増えている。

それは「数の基本型」の性質から言っても当然である。

(「数の基本・その1」参照)


 ところがどうであろう。

「縦の数字の並びも全く同じ」になっているのである。

まさに「超構造体」と言ってもいいものではないか。

すなわち、そこには上下とか左右という概念は一切ないものである。


 斜めの数列を見て欲しい。

そこに並ぶ数字は、全て「鏡面対象数列」である。

また、当然ではあるが、対角線により分断された「二つの世界は全く同じ」であり、

対角線を軸に180度回転させても全く同じ(重なり合う)という、不思議さをもっている。


 横の各数列(10ヶ)もそれぞれの合計の数は同じ、

即ち「答えの数は全く同じ結果(9)となる。

9=0 本質0である。


 縦の各数列(10ヶ)もそれぞれの合計の数は同じ、

即ち「答えの数は⑷の横の数列と全く同じ結果(9)となる。

9=0 本質0である。


 「右上がりの対角線の数」と「右下がりの対角線の数」の和も⑷、

⑸の和と同じ結果(9)となるものである。

また、それに沿って流れる全ての数列の対極同士の和もすべて0である。


 「右上がりの対角線に沿った数列」と「相対する右下がりの対角線に沿った数列の和も、

全て⑷、⑸、⑹の答えの数と同じ結果(9)となる。

(例) 

① 073676370+026323620=9
② 06133160+03866830=9
③ 0580850+0410140=9
④ ・・・

即ち、①=②=③の不思議な関係にあるのである。

 中心から相対的位置関係(縦列、横列とも)にある
「4つの数の和は全て同じ」であり、

しかもその答えの数は「⑷、⑸、⑹、⑺の答えの数と同じもの、

すなわち⑷、⑸、⑹、⑺、⑻の答えの数は全て同じ結果となる。

(例)

1+8=2+7=3+6=4+5=9

2+7=4+5=6+3=8+1=9

 この「九九算表」をフラクタル型に分解する。

易の真実4

即ち、外側から四角な枠として、次々に取り外すのである。

それら取り外された枠数は6ヶ(A.B.C.D.E.F)である。

全ては「大小の形をした完全相似形」である。 (「数学幻視考NO.10」参照)

その各型枠内の数を加算する。すると、そこに

A=B=C=D=E=F

が成立する。しかも、

A=B=C=D=E=F=⑷=⑸=⑹=⑺=⑻=9

の結果となる。そんな馬鹿なことがと、首をひねるであろう。

しかし、「数は真実を述べるだけで、決して嘘はつかない」ものである。


 一つの対角線を陰陽境にして、

「陰」と「陽」の場を大きく循環して流れるエネルギーの流れは、

その対照的な値は「どれをとっても同一」であり、その値は「すべて3」である。

また、もう一方の対角線上にある同様な関係の値は「すべて6」である。

それは「陰」と「陽」の関係である。

それは「陰」+「陽」=9、すなわち「3+6=9=0」を示す、正しい「数の答え」である。

同時に、それが「神の答」でもある。

(例)

08502=6
01407=3

すなわち、6+3=9=0

 二つの対角線に沿って流れる斜めの数列、それらは全て「鏡面対象数列」である。

「鏡面対象数列は一つの形でありながら、背反2面性を持つ」、

即ち「陰の世界」の数の姿でありながら、同時にそのままで、「陽の世界」の数の姿を持っている。

それは、単一の姿で「あの世」にも出入りできるが、「この世」にも存在できる摩訶不思議な数列で或る。

その不思議な姿が、この図いっぱいに広がる偶図、それがこの「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)である。


 ここに示されている「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」こそが、

何を隠そう「易の本図」で在って、超古代日本に存在した「神の易」であり、

伏羲により、中国に持ち出される前の「易の原図」である。


 また、この「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」は、超古代日本の「宇宙次元図」である。

それは、日本で最も古い図とされる「フトマニの図」でもあり、また東洋の「曼荼羅図」の原図でもある。

それらは全て「神々の配置図」、即ち、「中央に大神を置き、その周りを取り巻く神々の姿」を示しているのである。



Ⅱ 真実を知る


「九九算表」を見ながら、ここに述べた解答を読むと、

ただただ不思議な感じに陥り、本当かな「?」に思われたかも知れない。

しかし、「神の数学」から見れば、不思議でもなんでもなく、

まさに「真実の答え」そのものなのである。

それは「違うこと無く存在するもの」、「普遍的偏在性をもつもの」でもある。

また、その存在は「自然の姿に合い似るもの」であり、「永遠の姿を留め置くもの」である。

それがこれまで幾度となく述べ、解を明かしてきた

「古神道から顕れた数の理」

そのものなのである。


● それはまさに、天地宇宙を震わさん(共鳴させる)ばかりの「天地言葉」であり、

 驚くばかりの自然哲理性を秘める「文言言霊」であったのである。


● それは、「陰」と「陽」という妙なる仕組みにより「宇宙を共振・共鳴させ、

 大いなるエネルギーを得て永遠なる存在」となっているのであり、

 その事実は物理学上の大理論「電子対抗理論」のことを指しているものでもある。
 
 それは、「2個の正(陰)・反(陽)の電子は、何光年、何百光年離れていようと、

 距離には関係なく、お互いの存在を瞬時に知り、常に共鳴し合っている」ということである。

 このあたりのことを、数とその相対数の相関図を持って、「神の数学」の中では、

 しっかりと顕されているのであり、しかもそれは、全て次元単位で明確に記され、

 決して誤りが無いことが検証されるのである。

 その対極的位置に或る「陰」と「陽」の性を持つ「数」を称して

 <対極数=相対共鳴数>と「神の数学」では呼んでいるものである。

 ある宗教の大祖は「宇宙には無限絶大の音声が鳴りて、鳴りて、鳴り余りつつある」と述べ、

 それを[アイウエオの五大母音]としているが、

 本当は「ひふみ・・・」の言葉、すなわち「9大数詞」が正しいものである。

 それにしても、そこまで喝破できた御仁が、過去の日本にいたとは、信じられない思いもある。

 まさに大きな驚きであり、大いなる拍手を心から送りたい気持ちで一杯である。
 
 いずれにしろ、これら解説した答え(真実)などは

 [現代数学概念(直線法)に洗脳された頭脳をもって分析・検証しても根本が異なるので、

 闇夜を徘徊するようなものであり、[神の数学概念(循環法)]を用いない限り、

 その解答を求めることはできない。

 それは、[神の数学](意識数学)を学んでいる者にとっては、初歩的・基本的なものであり、

 それをマスターすれば、誰でも十分に理解でき、即座にその姿・形を描き得、

 人類の未来世紀に向けての、さらなる発展に寄与せしめるものである。



Ⅲ 10進法(直線数学)の限界


現代数学は唯物論的な世界であり、

物質万能主義(欲望)の物差し(10進法)で物を計るだけである。

それ故に「現代数学概念」には、限界が見えてきたのである。

現代数学は短視眼的な概念であり、

新世紀においては、もっと大きな目で全体を見渡すことが必要である。



Ⅳ [神の数学](循環数学)の展望


この大宇宙自然は[唯物論的な世界]と[唯心論的な世界]が対構造を形づくり、

大きく広がっている世界である。

そこでは、「10進法」は何の力も持たず、

単なる意味の無い計算法、一つの局部的な計算法と化すものである。

そこで必要なのは、[意識数学]手法であり、それが[神の数学]と呼ぶ循環数学そのものである。

易の真実5



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