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続「神の数学」 特別寄稿 6

⑶ 「世界に誇る叡智」が封印されている古神道

木製サイコロ3

長々と講釈を重ねてしまった感がある。

が、しかし、真実の歴史をしっかり理解・認識するには、

どうしても歴史的な時代背景やその周辺事情まで、しかと踏まえた上で、

本当の事実を掴まなければならないのである。

まして戦後の日本は、伝統文化の断絶という楔を打たれ、

先人の築き上げてきた歴史の断絶という洗礼を受け、

戦後70年近くに至る今日においてさえ、

謝罪外交を余儀なくされ、歴史の真実は隠されたままである。

「神国日本」「不思議の国・日本」「顔の見えない日本」などと形容されるが、

不思議と世界の文化が集まってくる希有な国である。

その理由は一体奈辺にあるのだろうか。


そのことを知るためには、超古代の日本の歴史の存在を知らなければならない。

そのことを知ることが我々の務めでもある。

すなわち、本当の歴史的事実を知って、初めて歴史の真実が見え始め、

日本民族の使命というものが解るというものであろう。

また諸外国の教科書で紹介されている「日本神話」は、

その張本人である日本の教科書から姿を消してしまっている。

神というだけで、それはさも宗教であるかのような異常な錯覚に陥ってしまうからである。

それ故に、我々は本当の歴史を知り、

誇りを持って次代を担う子供達にそれを伝承していく、それが我々の務めなのである。


諸兄の有する古代日本の歴史認識は、

教科書通りの「記紀の前には日本には文字は無かった」

「AD285年の漢字の伝来をもって日本の文字の始まりとする」などの

半世紀前の教科書にあるような、まさに時代遅れのものであって、

まさしく歴史の頭脳時計は止まったままの感じである。


日本の学者達は、見事なまでの大陸人の策略陥穽に落ち込み、

そのまま2千年の間、呪縛されたままで現在に至っているのである。

実に愚かなことであり、悲しむべきことである。

最近はさすがに気がひけるのか、年表などからそれらの記載は徐々に削除され、

真実が明るみに出てきつつあるのは大変喜ばしく、又望ましいことでもある。

諸兄もせっかく日本人としての生を受けたのであるから、

日本の正しい歴史、正しい意味での古代歴史期

(日本の「神代」と呼ばれた時代)の素晴らしい「叡智の所在」を知って欲しい。


それは、誰も否定できない「真実の知」であり、

現代西洋知を遙かに超えた宇宙的なレベルを持った「超知」であり、

世界に誇るべきものなのである。


それらを今まで誰も知らず、少

数の進歩的神道学者達だけが、

その存在を細々と訴え続けてきたものである。


「神道には{世界に誇る叡智}が隠されている」

「日本神道の中には全人類の最高の叡智が潜在している」

と叫び続けてきた彼等神道研究家の声、

それこそまさに正鵠を得たものであり、

本当の真実を捉えようとして止まない悲痛な叫びでもあったのである。


日本民族だからこそ、その傍らに何時もあり、

そしてそれを慈しみ助け、それ以外の外国の人々にはまとわり付きもせず、

「知らぬ顔」という一つの不思議さを持った「知の存在」があったことを、

諸兄はご存じ在るまい。

それは常に日本の文明歴史の裏に潜み、庶民歴史の動きと共に顔を出し、

彼等と共に行動を続けていた、まさに「稀代の知」とも言うべきものである。

その「稀代の知」の元々の所有者は我々の祖であり、

遠い純日本民族の頭脳だけに秘められていた「宇宙叡智の宝」とも言えるものである。

その「古代の叡智」そのものと我々日本民族との間には

知らず知らずに共鳴関係が成り立ち、

付きつ離れずの関係をもって、歴史の間に常に顔を覗かせていたのである。

それはいわば、我々の中に流れる祖の「血(道)の霊性」すなわち

我々のDNAの中にまで浸みこんでいる、祖達の魂の為せる業でもあり、

いわば 「大いなる祖達の集合的無意識による時間を超えたシンクロニシテイの発想」と

言うべきものであり、時の循環に護られていたものである。

それが一体何であるかについては、この後のお楽しみである。

すべては宇宙意識(神)の仕組みの業であり、

より深いレベルからの、秩序からの因果律の表れでもある。

それが歴史という時間の波のままに漂い、根付いてしまったもの、

それが「ひふみ・・・九九算」である。

それは、決して日本から離れることは無く、

古代から民と共にあり、今では完全に日本と同化しているものである。

その呼び名の現在名こそが「九九算」である。


木製サイコロ2

続「神の数学」 特別寄稿 5

⑵ 当時の大陸における日本観(中国の古文書より引用)


始皇帝の時代(紀元前200年頃)には、

日本(蓬莱国)は戦争も飢餓もない「神々の住む尊い国」であり、

道を治め長寿者が多いことで有名で、中国人の憧れの地であった。


そのことは、有名な孔子(紀元前500年頃)でさえ、

中国では道がおこなわれていないことを悼み、

『いっそ、海を渡って日本に行こうか』と語っている。 (「漢書」)

当時の日本は争いもなく文治の国であった証拠に、先にも述べたごとく、

秦の始皇帝から不老不死の薬草を、日本で求めるように命ぜられた徐福は

3.000人余りの童男童女を献上品として引き連れ、

護衛のための兵士は一切連れず海を渡って日本に来ているのである。

これは中国の古書にもしっかりと記され、

日本にも伝説として方々に残っているので事実と見てもいいであろう。

それほど大陸の人々にとって、当時の日本は

「憧れの国」「神仙の住む国」として知られていたのである。

争いの無い文治の国、夢の国であったのである。

これらのことを示す中国の古文書から、当時の日本観を見てみよう。


「東方に夷という君四国あり。天性従順にして、治むるに道を以てす」       (漢書の倭人伝) 
「東方に君子国あり,衣冠に剣を帯びる。その人となり譲を好みて争わず」     (漢の地形訓) 
「仁にして生を好む,天性柔順にして。治むるに道をもってす。君子不死の国なり」   (後漢書の倭人伝)
「その年を考えるに或いは百年,或いは八,九十年になる者多し」   (魏志倭人伝〕
「倭人の多くは八,九十歳に至り、或るは百歳にいたるもの多し」   (梁書の諸夷の項)
「寿老多く百余歳のものはなはだ多し」   (後漢書)



如何であろうか。

戦乱に明け暮れ、逃げ惑う敗残兵士にとっては、

又とない「格好の地・空極の極楽の天地」ではないか。

我が身、一族郎党を引き連れて、彼等はしゃにむに日本に向かったであろうことは、

古文書において明らかなのである。


ここで一つ、そのことを示す地理的事実を明らかにしておきたい。

旧来からの学説を是とする学者達は

大陸と日本の間にはだかる大海は往来するに難所であり、

なかなか日本までの旅路は難しいというが、それは大きな誤りである。

確かに、日本から大陸に渡るには、容易ではなく大変な危険を伴うもので、まさに命からがらである。

しかし逆な方向、すなわち大陸から日本に来るには、実に簡単なものであり、

ほとんど危険が無いことを彼ら学者達は知らないのである。

要するに流れる潮に乗れば、わずか3日か4日の旅路で簡単に日本に到着するのである。

それでも疑問を持たれる諸兄もおられるであろう。

そこで参考までに「歴史の真実を真摯に追求する学者達が示すデータ」を以下に示したい。


【1】
ここに一つの報告がある。
それは、ある調査(平成11年3月19日の産経新聞)によれば、
弥生人と中国揚子江下流で、発見された人骨の遺伝子が完全に一致したとのことである。
また国内の遺伝子鑑定では、現在の日本人の7割は弥生人、すなわち中国系であり、
その他の3割はそれ以外とされている。
〔それ以外とは南方系、朝鮮系、それに在来純日本民族の縄文人であろう〕。

【2】
「縄文晩期」〔紀元前200年、始皇帝が帝国を打ち立てた頃〕、
日本人の人口は7万5千人であり、それが7世紀に450万人に増加するには、
約150万人の大陸からの渡来者が在ったことを意味し、
当時の縄文人直系と渡来人の人口比率は1:9の比になる。
(「日本の歴史」佐々木高明著より)

【3】
自然人類学の埴原和郎・東大教授の調査研究によると
「紀元前300年から紀元後700年までの1000年間の日本の人口増加率は、
世界のどの民族に比しても異常に高く、自然増加だけではとうてい説明が出来ず、
海外からの渡航者という要素を考えざるを得ないという。
その比率は、在来人1に対して25、少なく見積もっても1対9という逆転した数字になり、
当時、ものすごい勢いで日本列島へ、戦乱難民渡航者が
次々と流れ込んでいたことが推測される」とある。
〔「科学朝日」1988年2月号より〕

【4】
戦乱を逃れて日本列島に入り込んだ大陸人とその子供達は、
先住民である縄文人を次々と襲い、完膚なきまで駆逐した。
そのような弥生人(大陸人)の東進史と先住民(縄文人)駆逐史を、
現代日本人は「日本の古代歴史」と信じ込まされているのである。
なんと言うこと。
〔「間違いだらけの歴史教科書」斉藤忠著より〕

【5】
弥生人とは如何にも後続縄文人のように思えるが、そうではない。
彼等は大陸の敗残戦士達が群れをなして、日本列島に襲いかかり、
縄文人を駆逐して日本を奪い取り、自分たちの天下国家をつくり上げた者達の集団名である。
名前の由来は東京・本郷の弥生町から縄文人と異なる骨格をもった人骨が多量に発掘され、
その地名をとって命名されたのである。
当時の命名者もこの名付けにはだいぶ苦労した要で、
当たり障り無く、発見地名をもって、人種名前としたのである。
なぜなら、大陸勢が日本を乗っ取ったなどと言おうものなら、
それは即皇室否定につながり、不敬罪に処せられるからである。
だから、柔らかく、そこで縄文時代が終わり、弥生時代に入ったと言うにとどまったのである。
歴史家ならそのあたりの隠された陰の部分をもっと斟酌すべきであろう。
(詳細は「神の法陣・講座8」参照)



全国で7~8万人の当時の縄文人に対し、数十万(少なくとも9倍で60~70万人)、

多くて数百万人(多くて25倍、200万人)の血に飢えた敗残戦士達に囲まれた場合、

どうなるのか想像に難くない。 

是により、一気に縄文時代は滅び、日本は弥生時代へと移行したのである。

それにより、日本独特の「神代文字」などの伝統文化的な「知」は全て否定され、

代々伝えられてきた<神典><宝物><御宝古文書>類は強制的に集められ、

ことごとく焼却廃棄されたのである。


そのあたりの事情(歴史的背景)は複数の超古代文献等に記されているが、

誰も取り上げようとせず、偽書扱いするだけで、一切問題にもしていない。

要するに、彼等大陸人の習性である先代の王朝遺物の存在否定が激しく行われ、

それにより、すべての伝統文化・遺産知などは、ことごとく踏みにじられて

跡形も無く消し去られたことは、歴然である。

学者達が語る「神代文字は無かった、存在しなかった」と語るには、

歴史の表面のみを見て、背後にある時代背景や、

そのつながり等の歴史的情勢を考えようとしなかったことが原因であり、

それ自体を自ら暴露しているものである。


縄文人の寿命は平均30歳程度であったと得々として述べているが、

彼等考古学者は発掘されたわずかの人骨の鑑定のみをもって、推論しているに過ぎず、

先に紹介した大陸の古文書が記す内容など全く知らぬ

「単眼的な知や短絡的な物の見方」しか出来ない頭脳を持った

単細胞な専門馬鹿としか言いようがないものである。


続「神の数学」 特別寄稿 4

⑵ 戦乱によって大陸から逃れてきた敗残戦士達の大群


その歴史的事実とは

「紀元前後あたりの日本原住民(縄文人)は何度も滅亡の危機に瀕し、生命を脅かされていたということ。

また、その度ごとにそれまでの<万古文物><神典古文書><御宝書き>等は

次々と奪われ失われた」と古史古伝は伝えている。

その滅亡の危機をもたらした最大の原因は、

天変地異と思われがちであるが、実はそうではなく、もっと悲劇的なものであった。

それは大陸における戦乱と深く関係し、その度に多数の敗残難民達が徒党を組んで、

死にものぐるいで日本に押し寄せ、大殺戮が繰り返されたと古文は伝えている。

おそらく敗れた王侯・貴族・将軍達や部下が、

その家族諸共、死を覚悟で隊を組んで海を渡ってきたと思われる。


それまで長い間、平和な暮らしに慣れて文治をもって生活していた縄文民族は、

為す術も無く、情け容赦なく殺戮されるか、あるいは奴隷として従う以外には、

生きる道は無かったと言えよう。

それが古来の「奴」という低い身分制度なのである。



今の天下太平の日本人には、信じられないことではあるが、

杉山徹宗著「中国4000年の真実」によれば、


① 紀元前5~3世紀にかけての戦国時代
② 前2世紀あたりの始皇帝の中国統一期(紀元前2世紀)の戦乱
③ その後の前漢の勃興あたりの大戦乱
④ 紀元後の後漢から三国時代の争い



これらの王朝交代期には、必ず数十万から数百万の戦死者

(捕虜はすべて生き埋め)が出るのが通例であった。

また、新しい王朝の慣例とは、前の王朝に関わった者の家臣はもとより、

家族・係累等は全て捕らえられて始末され、

その度に数百万、数千万の人々は難を逃れようと国を出るのが常であったのである。

(それに飽き足らず、建物や備品、その上皇帝の墳墓まで破壊し、影も形も残さないようにすること。

それが人民に知らしめ、見せつけることが支配を安定させる必須条件と考えられていた)

これらの事実云々は、今の日本人の常識では判断できないことであろう。

ただ先の文化大革命によって、数千万人の人民が殺戮されたことは、

こうした歴史を物語るものである。


それほど我々日本人とは風習・観念が違い、考えが異なるのである。

ここで当時の記録を引っ張り出し、それを紐解き、

大陸と日本の関係や時代背景を考察してみることにしよう。


残念ながら、最大級の殺戮や生き埋めがあったとされる

「秦の始皇帝」(B.C221年)の時代の記録は全くない、おそらく数千万の単位であろう。

しかし、秦帝国が戦乱により滅び去った時には、

おそらく数十万の敗残戦士が一党、家族を引き連れて日本に向かっているはずである。

なぜなら、当時の日本は「神仙の国」「長生の国」として、

彼の地では名を馳せ、彼の地の人々の憧れの国でもあったからである。


秦の始皇帝でさえ、一度ならず二度も日本に向けて文人「徐福」を派遣し、

貢ぎ物として五穀の種、諸々の工人、それと良家の稚児男女数千人を

献上品として船積みし、日本に向かわせたのである。

その際には兵士の類いは一切乗せなかった、と古代文献には記されている。

それらが語るそこに秘められていた事実とは、一体何であろうか。


確かに当時の日本の国は「文治の国」「神仙の国」とその誉れは高かったのである。

一説によれば、始皇帝の最後、自ら日本の国を目指したが暴風のため山東に引き返して、

そこで病気になり50才で没したと伝えられている。

故に、彼等の風習から考えると、その後に起きた数々の戦乱によって、

故郷を追われた敗残兵士達が日本を目指し、

死にものぐるいで船出したことは、充分に想像できるところである。

もし、その事実が無いとするならば、

そのこと自体が逆に不思議で、あり得ないことと言わねばならぬ。

例えば、その7~8割が海の藻屑と消え、あるいは他の国に逃れたとしても、

日本に辿り着いた人数は何十万という大変な数に上ったであろう。

とにかく「大陸の戦乱と人口の増減には大いなる関係がある」と歴史家は述べている事に注目して欲しい。


次に示す資料を見ながら、その殺戮や逃亡の凄まじさ、

命からがらの敗走の様子を想像していただきたい。


【1】
残念ながら紀元前500年~200年あたり
最も肝心な「春秋」「戦国時代」の記録、及び最大級の殺戮、
生き埋めがあったはずの「秦」の始皇帝の時代の記録は無い。
ただ時代の名前から分かるように、始皇帝は外来の王であり、
この期は最大級の戦闘に明け暮れていた時代で人口の増減も激しかったと推察さる。

【2】
「前漢」末の人口5.959万人が王朝が交代した55年後には
2.100万人とわずか50数年で4.000万人近い人口が減少している。

【3】
「後漢」が最も繁栄を誇ったとき(AD159年)の人口は5.649万人。 
対して「後漢」が滅び「三国時代」が始まったころ(AD230年)には、
なんと1割強の763万人に激減している。
わずかの間に9割、すなわち4.800万人の人口が完全に消滅しているのである。
一体何処に消えたのであろうか。

【4】
三国時代を統一した「晋」(AD280年成立)の人口1.616万人が、
その後「隋」が統一したとき(AD580年)には900万人に減じている。約半分。

【5】
信じられない、いい加減な数字であるとは言わないで欲しい。
その証拠として最近の記憶に新しい『文化大革命』(1970年頃)では数千万人、
天安門事件(1989年)では数百万人が虐殺されている。
それらの真相も知らず安夢に耽っているのは、おそらく日本人だけであろう。

(* 数字引用『中国4000年の真実』 杉山徹宗著より )

   


果たして、この各戦乱の度ごとに失われたとされる

数千万単位の人々は何処に消えたのであろうか。

全てが殺戮や生き埋め等にされたとは考えにくい。

例え半分は殺戮されたとしても、半分はどこかへ逃げ出したと考えるべきである。


問題は、その彼等の目指した地(逃亡先)、希望をはらんだ戦争の無い平穏の国である。


続「神の数学」 特別寄稿 3

⑴ 日本に秘蔵封印されてきた歴史的事実とは < その背景と考察 >

要するに「魔方陣」は自然が醸し出した自然の作品、

いわゆる「神の手になる作品(神意のままの・人為のないもの)」ではなく、

人知の産み出したレプリカ品(模造品)、すなわち手慰みの作品なのである。


よって、そこには一切の「宇宙の真理」の存在は無く、在るのは「無為」「空虚」だけである。

そのようなレプリカを果たして誰が作り、誰が広めたのか、

そのあたりの歴史的事実を文献により考察してみると、真実がだんだん見えてくる。


その一つ、超古代文書「竹内文書」には

「伏羲、神農の両名は36年間留学生として滞在して、

< 易 >と < 薬学 > を学んで日本を去る」 と述べられている。

これが事実だとすれば、彼等が日本から祖国(現在の中国)に< 易 >を持って帰り、

あたかも自分が見出したように振る舞っていたのであろうことが、容易に想像がつく。


また、「易の基本は方陣(3次方陣)にある」として、いろいろ神話的な物語、

すなわち「神馬の旋毛図=河図」とか

「神亀の背の図=洛書」を創り上げたということが事の真相であろう。



ところが、いくら誰がやっても「方陣(3次方陣)からは易の全象、

すなわち < 太極 >< 両儀 >< 四象 >等が姿を顕すことは絶対にありえない)のである。


要するに、伏羲は日本を去るとき、風聞による知識のみ、

または「方陣サンプル」とその処方あたりを持たされて、意気揚々と帰って行ったのであろう。

それがすなわち、「3次方陣=魔方陣」と言われる「易」の本体そのものなのである。

考えてみるがいい。

日本民族の「伝統叡智」であり、誇りである「全知全能の超知」というべき宝を

一介の単なる外国留学生の渡すはずはなく、

伏羲はまんまと騙されて「レプリカ方陣」を持って意気揚々と帰って行ったというのが真相であろう。


何故、私がそこまではっきりと断言できるかと言えば、

私が、その「易の原図である本物の図」をしっかりと所持しているからである。


それは一つの「方陣形式の図」であり、「真理の図」の形になっているものである。


しかも驚くべきことに、それは「易の全象」である

< 太極・両儀・四象・八卦 >の秘密を全部合わせ持ち、

その全てをまがうことなく開示しているものである。


これこそが本物の「易の原図(基本図)」であり、

宇宙の全容すべてを内蔵している「天啓の図」、

すなわち「自然の構図」そのものを謳っているものである。


それは数千年来、日本に封印秘匿されて現在に至り、今その本性を告げているのである。
   


話は、さらに佳境に入る。

諸兄の持つ全知全能を奮い、かつ神経を研ぎ澄まして聞いて欲しい。

そこにあるのは何人の想像をも超える日本歴史の超古代の封印を解く事であり、

今は失われた日本上古代における真実を再び世の中に甦らし出すことでもある。


歴史の真実が、何故こうも完全に失われてしまったのか。

真の歴史学者の中には、ある程度は感づいてはいるであろうが、決して口には出さない。


なぜなら、それを口にしたら最後、彼等の学者生命は終わりを迎え、

その分野から追い出されて、路頭に迷う羽目になることを知っているからである。


続「神の数学」 特別寄稿 2

1 「魔方陣」を読む
(まず、その歴史的背景から見なければならない)



 「魔方陣」とは、縦×横の数が同じ正方形の図の中に1からnまでの自然数を入れて

「縦・横・斜め対角の各数が皆同じ数になる」という、大変込み入った数図を指すものである。


例えば次のようなものである。

3次魔方陣(河図)
特別寄稿神の易6


< 横 >

2+9+4=15

7+5+3=15

6+1+8=15


< 縦 >

2+7+6=15

9+5+1=15

4+3+8=15


< 斜め対角 >

2+5+8=15

6+5+4=15


すべてが同一数をもたらすという、まさに「未熟な不思議」というべきものである。

この魔方陣を称し、「直線式」という。 それは現代数学手法である。



この「魔方陣」には不思議な力が働いていると古来より囁かれ、

各国の賢人達が競うようにして4次元・5次元・6次元と作り上げていったのである。

「大きいことはいいことだ」とばかりに次々に表を拡大し

「不思議な力の発見」「神の徴(しるし)の発見」に努めたが

,如何せん、そこには何も見出すことは叶わず、すべては徒労に終わったものである。



有史以来、何十、何百万という人の尊い汗が無意味に流されたことか・・・

おそらく彼等は終生を通じて探査研究に明け暮れていたはずである。

それがどういう訳か,最後の締めくくりのお鉢は日本人に戻り、

「300方陣」という、とてつもない巨大な魔方陣を作り上げているのである。


このあたりで正気に返り、その「魔方陣」を覗いてみよう。


そこにあるのは、例えば

1次魔方陣  無し
2次魔方陣  無し
3次魔方陣  1ヶ
4次魔方陣  8ヶ
5次魔方陣  数万ヶ

というように、

まさにランダムな存在、秩序無き存在と言えるものである。

それらは皆、不自然な秩序性を持ち、規律性、序ある数字性などは

何も無いことは誰が見ても明らかである。

そのことからして「魔方陣」は自然流の産物、自然の手になる作品などではなく、

単なる人間知により作られたもの、すなわち「自然陣」ではなく、

単なる「人工模造陣」であることが判るのである。


そこには決して真理法則などはなにも内蔵されてはおらず、全く虚なもの、自然性のないものである。

本来の自然の形を持つものならば「次元とは1ヶ、

唯一無二のもので、同じ真理は二つとは存在しない」ものである。

それが<真理>と呼ばれる意味であり、その所以なのである。

そのことを、しっかりと心に留めておくべきものである。


木製サイコロ1

続「神の数学」 特別寄稿 1

続「神の数学」

(数学幻視考NO.8) ①


「魔方陣」と「神の法陣」その1

4千年来の日本の秘儀「神の法陣」を解き放つ。

それはかって日本から中国に渡り、彼の地では「魔方陣」と呼ばれていたものである。

太古の秘儀、それは驚くべきものであり、「現代西洋科学文明」の間違いを諭してくれるものである。

物質万能主義(哲学では唯物論)をモットーに進んできた現代科学は

今や行く場を失い、錯乱に陥っている。


それを救えるものは、日本の太古の秘儀、即ち「神の数学」のみであろう。


驚くべき古代日本の秘密である「数理」を、さらに解き明かしておきたい。

おそらく、本稿「数学幻視考」をもって日本にまつわる

「古代の隠された秘密(数の理)」を発表する最後になるであろう。


現代数学の矛盾に疑義を抱いて幾星霜、

以来「古代の隠された秘密(数の理)」を書き表して、既にその数「100余編」になろうとし、

老兵は新しい頭脳が芽生えてくるのを楽しみに隠遁するつもりである。


ただし、いままでの私の述べた事実関係や「神の数学」の数理計算、

数の教える未曾有の真実などについて私は責任を持って説明処理し、

後世に憂いを残さぬようにしっかり記しておくことはやぶさかではなく、

誇りを持って残していくつもりである。



日々、是、総て学びの世界であり、知を磨くことにより健全な内外の発展が見られるのである。

内とは「形而上の世界」であり、外とは「形而下の世界」のことである。


現代西洋科学文明は、特に「形而上の知」を無視排除しているので、

そこには永遠の兆しはすでに無く、今や滅亡寸前の様相である。


我々の「見える世界(現実世界)」は常にその背後にある

「見えない世界」の支配を受け、常にその影響化にあることを忘れてはならない。


現代西洋科学文明は、その「見えない世界」を無視、そんなものは無いとして歩を進め、

ここに来て振り返ると、それはあまりにも独善的であって、

周囲の自然真実から完全に遊離していることに気がつき、騒然としている現在である。


あるべき自然の「真実の世界」、そして人間知による「片輪な独善の世界」

その二つの世界の差異が「神の法陣」と「魔方陣」とを対比することによって、

そのことを見事に実証してくれるのである。


果たして、そのようなあまりにも明白に揃っている真実、

その真実をもって我々は一体何をすべきなのであろうか。


よく考えてみると、歴史のすべては神の演出によるものであり、

神の書いたシナリオ通りに動いているように思えるのであるが、如何であろうか。


是までも、又今も、私は考えに考え、苦しみに苦しんで

シナリオの行く末を推察思案しているのであるが、

この「神の数学」の出現により、その現実感が一段と増しているのである。


我々の歴史は勿論、文明の推移、国の盛衰、はたまた個々の生涯、

全ては既に決められ(法則により)、神の思惑通りに動いているのではないのか。


我々がいくら逆らっても無駄なこと、

すべては大宇宙自然を司る大きな存在(神)がすべてを操作し、操っているからである。


その大本は「形而上の世界=(見えない世界)」にあり、

その影響下の顕れが「我々の現実世界=(見える世界)」に伝播し起きている現象ではないのか。

それら「二つの世界」に通じる共通言語、それが「数」ではないのか?・・・と

そのような幻想が浮かんでは消え、消えては浮かぶこの十数年である。


そのあたりのことは本稿を熟読いただければ真実味をもって諸氏にも伝わり、

心に戦慄を覚えてくることは必定であろう。



深い思考を試みながら充分に熟読していただきたい。

まず、初歩的なもの、即ち「魔方陣」そのものの内容説明から始めよう。


特別寄稿 (神の易)

特別寄稿神の易1


特別寄稿神の易2


「ひふみ九九算表」の立体方陣に「神の易」の要素すべてが現われます。

まず特別原稿「続・神の数学」(数学幻視考NO.8)①をご一読ください。


特別寄稿神の易3


特別寄稿神の易4


特別寄稿神の易5


勾玉の出現 4 勾玉の示す数9のシステム

勾玉の出現

4. 勾玉は数9のシステムを物象化したものと考えられます。


数9のシステムの検討において、
数は9の分身で、どの数も対極数を考えると
対極数を加算するとすべて9になります。

数の本体である9そのものは、個としては存在せず、
粒子の結合体としてしか表現することが出来ないのです。

これが謎のシステム・オブ・ナインズなるもので、

1 + 8
2 + 7
3 + 6
4 + 5

のことですが、分かってきたことは、
粒子として結合する以前の一霊四魂の


勾玉32


を示す数の根源である神の姿です。

陰と陽をあわせると9になる物象です。

古代の賢者は確認できるものを結合させれば、9を再現できるとして

勾玉で9を造り、神として崇めたのだと考えられます。

勾玉は9の姿をしています。

勾玉の半分は9の逆さまで合わせると円となります。

勾玉は対極数を合わせると9になることを暗示し、なおかつ

「後ろの正面」は現象世界の反転した姿であることを暗示しています。


陰陽消長の理を検討していたところ、「ひょうたんからこまがでた」

と言うわけで、太極図の原点は、勾玉にあることに気付かされました。


日本から持ち帰った八卦思想の八卦盤に一部誤りがあったために、

「陰陽消長の理」は太極図では未完成の域を出ません。


陰陽は反転するだけでなく、陰陽の衰退に伴う新たな陰陽の発生、陰陽の消滅

さらに陰陽で示される世代間の交代、過去現在未来の循環まで

「陰陽消長の理」 では示されています。


太極図では陰陽の反転だけしか分かりません。


勾玉の組み合わせで数9のシステムを知ることができます。

勾玉の示す数9のシステムには、「陰陽消長の理」 の全てが示されています。

勾玉の示す 「陰陽消長の理」 が陰陽思想の根底にあることが判明したため、

太極図が勾玉を手本にしていることが分かります。

(要検証)



勾玉の示す数9のシステム

を検証してください。

数9のシステムは人知で仕組まれたものではないことが分かると思います。

古代において勾玉は宝だった故に神器扱いされたことが窺えます。

勾玉29


9は数を産み出した数の神であり、

姿形を求めても霊である故に姿形はない。

しかし陰陽に分かれた結合体や、その変化態として存在する。



勾玉は三種の神器の一つです


勾玉30



参考資料
(霊魂の配置図)

霊魂の配置は、八卦数霊盤の公式に基づいて配置されます。

勾玉31



勾玉の出現 3 「陰陽消長の理」を検討 (勾玉の出現)

勾玉の出現

 3 「陰陽消長の理」を検討 (勾玉の出現)


これから先は電子、中性子、原子核、量子、霊魂の世界です。

勾玉16


勾玉17


勾玉18
勾玉19


勾玉20


勾玉21


勾玉22



勾玉23


勾玉24


陰陽消長の理という哲学を検討すると、以下のようなことが判明します。

勾玉とはなにか?

誰も知らない、縄文時代の人は知っていた!



(1) 陰陽の循環は三代の交代を繰り返しながら循環することが分かる。

勾玉25


(2) 陰陽は対極として消長する。


(3) 一代の陰陽は一周する間に陰陽の極限を迎える。

   1234と勢いを増して極限に至る。
   陰が極限に至れば、陽も極限に至る。
   4がその極限を示しているが、この極限が折り返し地点で5から反転が始まる。
   8に至ると陰陽の反転した極限となる。


(4) 2周目に入ると、陰陽の衰退が始まる。

   衰退の理由は二代目が一代目に変わるために生ずる。
   2代目の勢いが増すだけ一代目の陰陽は衰退する。
   123と衰退し、二代目が極限に至る4で一代目の陰陽は消滅する。


(5) 3周目に入ると三代目の陰陽が二代目と交代するため二代目の陰陽は4で消滅する。


(6) 4周目に入ると最初に戻り、3周目までの軌跡の上塗りの形で消滅した
   一代目の陰陽
●○が復活する。

   以下陰陽の循環は、一代目から三代目の陰陽が交代しながら循環し続ける。


(7) 一代目を過去、二代目が現在、三代目が未来とすれば、
   過去・現在・未来が1周するごとに入れ替わり、循環する相が示されている。



(8) 勾玉は数9のシステム

   数9は1~8の結合体で存在し,個としての姿無きため、見えないが
   存在する証として勾玉が造られたと推察します。
   数9のシステムは数は9が分離したもので、表裏を合わせるとみな9になるが
   陰陽に分かれたために表裏で逆になることを勾玉の9が示しています。
   勾玉は数9を目に見える形にしたものと考えられる。


勾玉26


掛け算99の9の段には最初から,数の陰陽が示されている。

勾玉27


この図は太極図そのものですが、この図で分かることは
陰陽の極限から反転して陰陽が逆転する過程は分かりますが、
陰陽の消長ならびに、新たな陰陽の発生に伴う陰陽の交代、
陰陽の衰退から消滅の経過が不明です。



勾玉の出現 2 「ひふみ99算表」を分解して数の根源を求める (形を割いてみる)

勾玉の出現

2 「ひふみ99算表」を分解して数の根源を求める (形を割いてみる)


今度はこれまでとは逆に、
立体化した「ひふみ99算表」を可能な限り分解して、
数の根源を求めてみることにします。


勾玉12


勾玉13


勾玉14


勾玉15

数の根源9は個の数としては存在せず、1~8の結合体として存在する。
分解すると1~8となり、9はなくなる。

9は結合体として、原子核相当の数の根源である。
数は9が陰陽に分離した9の分身である。


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ホクラの梅

Author:ホクラの梅


「神の数学」佐藤敏夫先生の後継者である、梅村一彦先生主宰のWEB進化版「神の数学 梅のはな開花塾」へようこそ♪

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