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続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ④

5 歴史的事実に見る「神の方陣」の正当性とそのまとめ

(1) 「宇宙次元原理表(九九算表)は「方陣」の母体でもあり、[易]の真実の姿(原図)でもある。

「中国易」の基盤である「3次方陣図」(神話では、河図・洛書の図)これは

「宇宙次元原理表(九九算表)」を模して作られたミニチュア作品であり、

完全な風聞による最も簡単なサンプル作品と言えるものである。

「3次方陣図」がいつの時代に作られたのかは不明であるが、

残念ながら、人の手になる真っ赤な偽物である。

本稿第Ⅰ項でも記したが、おそらく、日本を去る時、

単なる[サンプル]を伏羲・神農あたりが持ち出したものか、

それとも、日本滞在中に聞いた風聞を元に、

帰国後自ら作ったものか、そのいずれかであろう。

なぜなら、[魔方陣]の秩序そのものが、実に不安定であり、

そこには何らの「自然の真実」、

「宇宙的な知」等を見出すことは叶わぬものだからである。

また何よりまして、それは単なる作られた「方陣サンプル」に過ぎない。

なぜなら、これは馬の背に印されていた[河図]、

亀の背中に描かれていた[洛書]と言われるものである。

しかし、この単なる「3次の魔方陣]からは、[易]にある「諸天象」である

<太極><両儀><四象><八卦>等を見出すことは、全く不可能である。

それが何よりの証拠である。

爾来数千年、易の真実を「河図」「洛書」から、

引っ張り出して、解いた者がいたであろうか。

「NO」である。誰もいないのである。

それは、ただの風聞や神話の類いであり、三千年、四千年も前の噂話を、

面白おもしろおかしく脚色して伝えたものであろう。

また、「易」から[五行説]が生まれたと言われているが、

過去における[易学]の専門研究者達が「易には五行の説無し」と言っている通り、

易の中には、それを示す事実真理は何もないのである。

まして、[3次魔方陣から五行を見出すことは叶わない]と

過去の研究者の誰もが認めているものである。

それは偶然、河図・洛書の「3次魔方陣」の真ん中に「5」が鎮座しているので、

その「5」を引っかけて五行説としたに過ぎないとも言われているものである。


 「神」の存在無くしては、何事も進展しない。

一切まとまらないことを知るべし。

人の創作した偽りの「魔方陣」(河図・洛書)に比べると、

日本の「神易」の元である[宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)]には、

上述の要素の全てが、しっかりと存在し、内蔵されているのである。

「易の諸象」である<太極><両儀><四象><八卦>はもちろん、

<五行>や<洪範九躊>(洪範は洪大な規範の意味。九躊は九種の分類を示す)まで、

全て容易な姿で内蔵し、開示しているという不思議を持つ表である。

故に私はこれを称し、「神の法陣]と呼んでいるのである。

それは、どのような民族、あらゆる階層の人々、たとえ女子・子供でも容易く学べる形、

即ち万国共通語である「数」で全てが語られ、示されているのである。

その中でも、とりわけ五行説については、驚くべき正確さ、緻密さを持って

「宇宙のエネルギーの五要素(エッセンス)」を示すものであることを、

はっきり開示し,その証をしっかり示しているのである。

まさに驚くべきものと言えよう。

日本人は頭脳優秀と言われている。

しかし、あまりにもお人好しで、他人の言うことを信じすぎるという面がある。

それは素直という素晴らしい性質であって、

そのことを否定するつもりはないが、長所即短所でもある。

激動する今の世界情勢似合って、自国の歴史や伝統文化への誇りなどは無く、

盲目的に西洋科学こそが、知の進歩であると思い込まされているという感がある。

このまま行けば、日本文明の未来は危うくなることは必然である。

まして学問の世界おいては、

自分の手での「真実の追究」という姿勢こそが肝腎なのであり、

やたらと外国の学説を無防備に取り入れ、自説として唱えているようでは

単なる学盲人出会って、ロボット的学者に過ぎないものである。

大いなる過去においても、大陸人のみごとな策略に引っかかり、

数千年という間、その刷り込み状態が解けず、文字や仏教をはじめ、

全ては大陸から伝わったもの、文明は大陸から戴いたものと教えられて、

それを鵜呑み状態で現在に至っているのである。

悲しいかな、今でも大陸の歴史学者達は、疑うこと無く従来からの学説を信じ切り、

そのように説いているのは、諸兄も十分にご承知のはずである。

しかし、それは過去のほん一時、おそらく紀元後からわずか500~800年間、

せいぜい遣唐使あたりまでであろう。

それ以前の日本、即ち紀元前の日本は、大陸人にとっては、憧れの国であって、

「神仙の国」「文治の国」[長生の国]として、名を馳せていたのであり、

それを考え合わせると、大陸文化の輸入期間わずか800年間と言えるのである。

そのはるか昔は、日本から全ては始まったのであり、

日本こそが超古代文明の担い手であったのである。

その事実は種々の古代文献に、しかと記されているのである。

例えば、「竹内古文書」「九鬼文書」「ホツマツタヱ」「カタカムナ古文書」、

それを傍証するものとしては、中国の奥地で発見された「契丹古伝文書」がある。

それらの全ては、「日本こそ古代文明の祖」であり、

「覇者であった」と伝えているのである。

またそれは、天地の数歌である「ひふみ・・・」祝詞の持つ超知が、

それをさらに裏書きしているのである。

ここで、さらにもう一つの「驚くべき真実」を告白しなければならない。

それは、この「宇宙次元原理表(ひふみ・・・九九算表)」は

「神の法陣」の<解き方サンプル図>であり、

一つの<指南説明図>であることを申し上げたい。

なぜなら、ここで見出した「解き方」や「発見した法則」は「神の数学」の根本原理であって、

それ故に「神の法陣」の数々を解き明かす際に用いらる大変有用なものだからである。

しかし、想うに、果たして何者がここまで用意周到な備えをし、

しかる後に「それを誰に教え、伝えようとしているのか」と言うことである。

「現実に存在する事実」は、何者かがそれを造り、書き遺したと言うことである。

それは、果たして何者であろうか。

それはちょうど、遺伝子(DNA)の超微細な一片の中に、

百科事典1000冊に匹敵するほどの膨大な情報が記録されていることと

同じような不思議さを持つものである。

一体誰が書き込み,無限に続く永久真理の図として、

宇宙のどこかに存在する知者達に、それを伝えようとしているのであろうか。


 さあ、現実に返り今の状態を見て見よう。

今、西洋科学知は限界に達していることは明らかである。

それ故に、ほとほと困った学者達は、宇宙の初めに神を置き、

神の御業として、これらを見始め、

真実の鍵、宇宙創世の鍵をここに求め始めたのである。

神を見捨てた科学は,結果的に偽りの世界(唯物科学・物質科学)には、

真実は無いとばかりに、今に至って再び神を呼び戻し始めている。

すなわち、「神の存在無くしては何事も進展しない,まとまらない」ことに、

今になり改めて気がついたのである。それはちょうど、

『エネルギーが物質化する際に,光が無ければ物質化することができない。

即ち、光は原子の中に存在し、

電子の軌道をコントロールしている』こととも相通じるものである。

そればかりか

『光は原子同士を結びつけて分子を形成する際の糊・接着剤の役目を果たしている。」のであり、

「ひとつの物質が誕生する大元の役を背負っている」のである。

要するに、『光が無ければ物質は誕生しない』ということであり、

したがって物質世界である「この世」は生まれてこなかったことを意味しているのである。

ここに於ける、光の役割とは、

我々の自然世界に於ける『神』の役目そのものではないのか。

そうなると、『聖書』の冒頭の言葉「まず光りありき」も

素直に肯定でき、その意味も解るのである。

また、太古日本の図表とされる「フトマニ」に記されている

『そこに使われている文字をひらがなに置き換えてみると、

顕れた文字は<神=美しい光=原子>である』と宮地正典氏(理学博士)は

その著「人類文明の秘宝『ホツマツタヱ』」の中で述べているが、

それもまた、確かに納得できるものでもある。

以上で本稿の筆を置くことにするが、「魔方陣」と『神の法陣』との関係や

歴史的事実やその背景をご理解いただけたことと思う。

次の講座『魔方陣と神の法陣その2』ではその本稿に入り

『易』に攻め入ってみることにしよう。



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続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ③ 

4 「宇宙次元原理表」(ひふみ九九算表)を読み、真実を知る

易の真実3


Ⅰ 宇宙次元原理表(九九算表)を読む


 横の数字の流れを見て欲しい。

上から並ぶ数列は、等差「0」、等差「1」、等差「2」、等差「3」・・・と

順を追って差が一つずつ増えている。

それは「数の基本型」の性質から言っても当然である。

(「数の基本・その1」参照)


 ところがどうであろう。

「縦の数字の並びも全く同じ」になっているのである。

まさに「超構造体」と言ってもいいものではないか。

すなわち、そこには上下とか左右という概念は一切ないものである。


 斜めの数列を見て欲しい。

そこに並ぶ数字は、全て「鏡面対象数列」である。

また、当然ではあるが、対角線により分断された「二つの世界は全く同じ」であり、

対角線を軸に180度回転させても全く同じ(重なり合う)という、不思議さをもっている。


 横の各数列(10ヶ)もそれぞれの合計の数は同じ、

即ち「答えの数は全く同じ結果(9)となる。

9=0 本質0である。


 縦の各数列(10ヶ)もそれぞれの合計の数は同じ、

即ち「答えの数は⑷の横の数列と全く同じ結果(9)となる。

9=0 本質0である。


 「右上がりの対角線の数」と「右下がりの対角線の数」の和も⑷、

⑸の和と同じ結果(9)となるものである。

また、それに沿って流れる全ての数列の対極同士の和もすべて0である。


 「右上がりの対角線に沿った数列」と「相対する右下がりの対角線に沿った数列の和も、

全て⑷、⑸、⑹の答えの数と同じ結果(9)となる。

(例) 

① 073676370+026323620=9
② 06133160+03866830=9
③ 0580850+0410140=9
④ ・・・

即ち、①=②=③の不思議な関係にあるのである。

 中心から相対的位置関係(縦列、横列とも)にある
「4つの数の和は全て同じ」であり、

しかもその答えの数は「⑷、⑸、⑹、⑺の答えの数と同じもの、

すなわち⑷、⑸、⑹、⑺、⑻の答えの数は全て同じ結果となる。

(例)

1+8=2+7=3+6=4+5=9

2+7=4+5=6+3=8+1=9

 この「九九算表」をフラクタル型に分解する。

易の真実4

即ち、外側から四角な枠として、次々に取り外すのである。

それら取り外された枠数は6ヶ(A.B.C.D.E.F)である。

全ては「大小の形をした完全相似形」である。 (「数学幻視考NO.10」参照)

その各型枠内の数を加算する。すると、そこに

A=B=C=D=E=F

が成立する。しかも、

A=B=C=D=E=F=⑷=⑸=⑹=⑺=⑻=9

の結果となる。そんな馬鹿なことがと、首をひねるであろう。

しかし、「数は真実を述べるだけで、決して嘘はつかない」ものである。


 一つの対角線を陰陽境にして、

「陰」と「陽」の場を大きく循環して流れるエネルギーの流れは、

その対照的な値は「どれをとっても同一」であり、その値は「すべて3」である。

また、もう一方の対角線上にある同様な関係の値は「すべて6」である。

それは「陰」と「陽」の関係である。

それは「陰」+「陽」=9、すなわち「3+6=9=0」を示す、正しい「数の答え」である。

同時に、それが「神の答」でもある。

(例)

08502=6
01407=3

すなわち、6+3=9=0

 二つの対角線に沿って流れる斜めの数列、それらは全て「鏡面対象数列」である。

「鏡面対象数列は一つの形でありながら、背反2面性を持つ」、

即ち「陰の世界」の数の姿でありながら、同時にそのままで、「陽の世界」の数の姿を持っている。

それは、単一の姿で「あの世」にも出入りできるが、「この世」にも存在できる摩訶不思議な数列で或る。

その不思議な姿が、この図いっぱいに広がる偶図、それがこの「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)である。


 ここに示されている「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」こそが、

何を隠そう「易の本図」で在って、超古代日本に存在した「神の易」であり、

伏羲により、中国に持ち出される前の「易の原図」である。


 また、この「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」は、超古代日本の「宇宙次元図」である。

それは、日本で最も古い図とされる「フトマニの図」でもあり、また東洋の「曼荼羅図」の原図でもある。

それらは全て「神々の配置図」、即ち、「中央に大神を置き、その周りを取り巻く神々の姿」を示しているのである。



Ⅱ 真実を知る


「九九算表」を見ながら、ここに述べた解答を読むと、

ただただ不思議な感じに陥り、本当かな「?」に思われたかも知れない。

しかし、「神の数学」から見れば、不思議でもなんでもなく、

まさに「真実の答え」そのものなのである。

それは「違うこと無く存在するもの」、「普遍的偏在性をもつもの」でもある。

また、その存在は「自然の姿に合い似るもの」であり、「永遠の姿を留め置くもの」である。

それがこれまで幾度となく述べ、解を明かしてきた

「古神道から顕れた数の理」

そのものなのである。


● それはまさに、天地宇宙を震わさん(共鳴させる)ばかりの「天地言葉」であり、

 驚くばかりの自然哲理性を秘める「文言言霊」であったのである。


● それは、「陰」と「陽」という妙なる仕組みにより「宇宙を共振・共鳴させ、

 大いなるエネルギーを得て永遠なる存在」となっているのであり、

 その事実は物理学上の大理論「電子対抗理論」のことを指しているものでもある。
 
 それは、「2個の正(陰)・反(陽)の電子は、何光年、何百光年離れていようと、

 距離には関係なく、お互いの存在を瞬時に知り、常に共鳴し合っている」ということである。

 このあたりのことを、数とその相対数の相関図を持って、「神の数学」の中では、

 しっかりと顕されているのであり、しかもそれは、全て次元単位で明確に記され、

 決して誤りが無いことが検証されるのである。

 その対極的位置に或る「陰」と「陽」の性を持つ「数」を称して

 <対極数=相対共鳴数>と「神の数学」では呼んでいるものである。

 ある宗教の大祖は「宇宙には無限絶大の音声が鳴りて、鳴りて、鳴り余りつつある」と述べ、

 それを[アイウエオの五大母音]としているが、

 本当は「ひふみ・・・」の言葉、すなわち「9大数詞」が正しいものである。

 それにしても、そこまで喝破できた御仁が、過去の日本にいたとは、信じられない思いもある。

 まさに大きな驚きであり、大いなる拍手を心から送りたい気持ちで一杯である。
 
 いずれにしろ、これら解説した答え(真実)などは

 [現代数学概念(直線法)に洗脳された頭脳をもって分析・検証しても根本が異なるので、

 闇夜を徘徊するようなものであり、[神の数学概念(循環法)]を用いない限り、

 その解答を求めることはできない。

 それは、[神の数学](意識数学)を学んでいる者にとっては、初歩的・基本的なものであり、

 それをマスターすれば、誰でも十分に理解でき、即座にその姿・形を描き得、

 人類の未来世紀に向けての、さらなる発展に寄与せしめるものである。



Ⅲ 10進法(直線数学)の限界


現代数学は唯物論的な世界であり、

物質万能主義(欲望)の物差し(10進法)で物を計るだけである。

それ故に「現代数学概念」には、限界が見えてきたのである。

現代数学は短視眼的な概念であり、

新世紀においては、もっと大きな目で全体を見渡すことが必要である。



Ⅳ [神の数学](循環数学)の展望


この大宇宙自然は[唯物論的な世界]と[唯心論的な世界]が対構造を形づくり、

大きく広がっている世界である。

そこでは、「10進法」は何の力も持たず、

単なる意味の無い計算法、一つの局部的な計算法と化すものである。

そこで必要なのは、[意識数学]手法であり、それが[神の数学]と呼ぶ循環数学そのものである。

易の真実5



続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ② 2

3. 「易」 の真実 <陰陽の真実所在とその本質意義について>

易の真実を明かし、陰陽の真実所在とその本質意義を覗いてみよう。

次に掲げる「数の図」は九九算表、即ち「宇宙次元原理表」である。

まず、数の基本形を作り、そこから「九九算表」を導き出してみよう。

(数の基本形とは、正自然数0123456789である)

易の真実1

よく見て欲しい。

正自然数を次々と倍加したもの(すなわち掛け算)が枠内の数字である。

どうしてそうなったかは、洞察力のある方なら一目瞭然であろう。

そう、その通りである。

ここにある「数表」の現実の姿は我々が用いている「九九算表」であり、

これは「陰の九九算表」と言うべきものである。

これは「九九算表」を「神の数学」の規定により、

数字をすべて一桁化して示したものである。

ここにもう一つの「神の数学」の法則を加えてみる。

それは9=0である。

すると数図は下(数の基本形2)に示された「神の数学」の「宇宙次元原理表」に変化し、

その数の妙を我々に示して、唖然とさせるのである。

易の真実2

易の真実3


如何であろうか。

まさに「摩訶不思議な図の出現」である。

この図はおそらく人類が手にした最高の知であり、

「宇宙慧知の図」「神の秘儀数図」というものである。

この中には未だ現代科学には、全く無い形の未知哲科学、すなわち


● 「宇宙の真理」「宇宙の法則」「宇宙の陰陽の姿」

● 「(あの世)と(この世)を流れるエネルギーの存在」

● 「鏡面世界の大秘密」

  などが数多く示され、またそこには

● 「現代科学の領分においての量子的な秘め事(色即是空)」

● 「フラクタル理論(相似形における数的理論の答え)」

● 「アインシュタインの相対性理論の正否」

● 「直線世界(現代科学文明)の否定」

● 「宇宙物理学の時空論における各次元のつながり」

  などの他、例えば

● 「曼荼羅図の秘密の答え」「0の本質の秘密」

等々がこの中に凝縮され、がっちりと詰め込まれているのである。


それは、いわば宇宙物理象の「万能ポケット」というべきものである。

願わくは、再三再四しっかりと見据え、そこに潜む「数の語り」、

そして「数の奏でる自然のメロデイ-」を自らの目と感性で捉えていただきたい。

あなた方なら、それは十分できるはずであり、十分に聞き取れるはずで或る。

難しい数学知識や数学の要素などは、何もいらないのである。

ただ、敏活な直感と鋭い洞察力を持ってさえいれば、それで十分である。


そして、もう一つ「無意識の力」「自分を信じる力」を最大限に利用して欲しい。

無意識とは「宇宙の正しい方向に歩もうとする姿」、

即ち「宇宙リズムと共鳴同調して、同じ目的意識にあろうとするもの」で、

別名「宇宙意識」と呼んでも差し支えないものである。


この無意識の力は、宇宙の全ての力と共鳴するものであり、

宇宙全体と繋がっているものである。

この無意識の力こそが、意識(心)を造ったものであり、物質世界を生み出したものである。


そのあたりのことを、天才物理学者ブライアン・ジョセフソン博士(ノーベル賞受賞者)は、

次のように述べている。


「私達が宇宙と呼んでいるものが現れる前から、精神の特質は存在していて、

空間と時間は精神からつくりだされたものである。」 と・・・



続「神の数学」 (数学幻視考NO.8) ② 1

2. 宇宙叡智の宝」とは「宇宙次元原理表」=「ひふみ九九算表」

「宇宙叡智の宝」とは、それは「宇宙次元原理表」のことであり、

我々日本人なら誰もが知っている「九九算表」でもある。

「え、九九算表・・・、どういうこと?」

意表をつく言葉を聞いて、驚かれたかも知れない。

我々日本人が子供の時から親しんできている「九九算表」、

それが宇宙最高の「叡智の宝」であるとは一体・・・。

私は敢えて言う、「九九算」の表こそが

「宇宙の深い真実理」を顕している「神の原理」であり、「宇宙創生の原理」であると・・・

正直に言えば、これを見出してから10年以上経っているが、

今の私でもあまりのことに大変な動転を感じている有様であり、

あまりの誰でも知っている事柄を、果たして公開すべきものなのか、

気持ちは右に左に揺れ動いているのが実際のところである。

ひふみ99算表2

とは言っても、我々の用いている「九九算表」は使いやすいように、

そして内蔵されている「神の秘密」を見出すことが不可能なように、

内容は大きく化粧を施されて封印されたものであり、

再び「太古の数の理」を用いて「元の数図の姿」に戻さなければ、

一切の<宇宙の理>は見出せず、ただ複雑無明の闇に消えるだけのものである。

では、それほど難しい知識が必要なのかと言えば、そうでもない。

小学3~4年生程度の知識があれば十分である。

ひょっとすると、その「九九算表」から<宇宙の理>を真っ先に見出すのは、

諸兄よりも直感力に優れた彼等小・中学生の方が早いかも知れない。

それほど「宇宙の理は、美しく、優しく、単純な姿をもつ真実の理」であり、

全ての人の純な心に、強く響いて止まない真実の姿を持つものと言えるものである。


ここに言う驚くべき「太古の数の理」とは古神道の中の大祝詞、

すなわち「天地の数歌・ひふみ・・・」のことであり、

我々日本人の誰もが“よもや”と思っていたものである。

この「天地の数歌・ひふみ・・・」こそ「宇宙の調べを持つ陰陽の天律」であり、

すべての次元世界を共鳴同調させるような偉大な力を持つ「数の理の調べ」でもある。

その驚くべき「神の秘儀数」が「天地の数歌・ひふみ・・・」であり、

神にささげる尊い祝詞として、古代の人々は最高に崇め奉っていたものである。


その「数の理」をもって、再び古神道を糺せば、失われた古神道の奥義

「カムナガラの道」も再び姿を現わし、同時に古代日本人の栄えある

「素晴らしい叡智の存在」も明らかになるのである。



人々は言うだろう、「九九算表」は中国から伝来したものではないか、と・・・

しかし、そうではないことを超古代文献の中では、しかと明記している。

前項でも述べたように、「易」すなわち1から9までの「3方陣」として、

中国の伏羲が日本から持ち出したものであり、それをもって「易の初め」としたものである。


本当の「方陣」とは、ここに示すように、封印される前の「ひふみ九九算表」のことであり、

私の持っている「宇宙次元原理表」のことでもある。

そのあたりを本稿で、はっきり説明し、誤った歴史観を糺さなければならないものである。

勿論、正統的な学者や常識ある一般の知識層からの反発は、予想している。

おそらく99%の方々は、現代は古代より進歩しており

「そんな古代の人々に、それだけの知があるはずは無い」

との理由のみで、反論するのは間違いなのである。


推量や単なる思い込みだけで否定すべきは、御法度である。

確たる根拠が無い限り、本当の反論とは言えないものである。

私は数字による「数の言葉」で説明し、

数字の示す「本当の答え」を申し上げているのである。

故に反論があるならば、言葉では無く、数字を用いて、

その不備・不合性を指摘して反論されるのが筋であろう。

かのアインシュタインでさえ「数字こそが神と話し合える唯一の言葉である」

というように喝破しているではないか。

まさに共に数字で語り合うことが、全ての間隙を埋める

正しい認識となるものであり、合一点に導く唯一のものである。


これは、純粋な「意識数学」「形而上数学」というレベルのものであり、

現代数学とはまったくかみ合わず、論を一つにできないものであることは、

改めて申し上げておきたい。



もし、諸兄の中で、これら古代の「数の理」「古神道の真実」を読んで胸がときめき、

少しでも興奮を覚えるなら、貴方は間違いなく古代日本人の血を受け継いでいる

知(血・霊)の後継者であり、幾ばくかの意識遺伝子(DNA)を持っているのである。

まさに、その人達こそ間違いなく純古代日本人民族の意識を心の中に秘めている者であり、

これからの新しい意識文明の先覚者として、大いなる活躍をする方々であろう。

民族的霊性(民族の無意識の意識=血・知・質)、それは決して失われることは無く、

連綿と代々受け継がれ伝えられているものである。

それは時代を超えて、共時的に感応し合うといってもいいものかもしれない。

それは、まさにユングの論にある

「時を超えた共時現象(シンクロニシテイ)」の現れと言えるものである。

その証拠に、ユダヤの人々の驚くべき血(DNA)の歴史を見てみるがいい。

映画「十戒」でも描かれているが、彼等は今から3500年前に国を追われ、

流浪の民となり、数々の迫害を受け、

挙げ句の果てにバビロンで長い間奴隷として酷使され、

数百年経ってからモーゼにより、やっと救い出された苦難の歴史をもつ民族である。

現在、全世界で約2000万人(東京都+埼玉県の人口と同じ)の存在と言われているのであるが、

その僅かなユダヤ民族が、今や全世界を牛耳っているのはご承知のことであろう。

ロシアとアメリカの政治に大きな影響を持ち、

全世界の政治・経済・軍事上の急所を押さえ、支配しているのである。

科学や物理の発見は、彼等ユダヤ人の学者によりなされたものであり、

世界に金融組織さえ思うように操り動かしているというのが実情である。

大きく言えば資本主義を唱えて動かしているのは、ユダヤ人達であり、

もっと大きく言えば現代の世界そのものを動かしているのは、

ユダヤ民族であると言い切ってもいいのである。

何故そうなったのであろうか。

彼等は何千年と続く無意識の民族意識(国を作り、世界に在らん)を持ち続け、

それが現実となって今、世界に強大な影響を持つほどに至っているのである。

まさに大きな意識のもたらす不可思議な力、血の中に流れるDNA的な無意識の業であり、

時間・空間を超えて現実化していく、意識エネルギーの確かな存在の証を物語るものであろう。

これが先に述べた民族的霊性(民族の無意識の意識)の発露の現れであり、

その確実な証とも言うべきものである。

即ち、「歴史は民族的霊性が作り上げている」と言っても、あながち過言ではないものであろう。


○このように、過去の祖達が持っていた意識や想念は、時を越えて伝播・伝心されるのである。

 それは現代科学理論においても、少しずつ承認されてきているものである。

 (セルドレイクの「場の形成理論」すなわち「形の場の成立とその共鳴により、

 過去の形態に導かれ、それを現代に継承し、時と場に再現される」)


○日本のように、過去に「超文明知の温床的な存在」が存在していたとの大きな事実は、

 いくら時の狭間に埋没し、忘れ去られても、いつかはその芽は再び現れ出てくるものである。

 それはセルドレイクの「場の形成理論」で説明できる。 すなわち

 「人間の心や社会形成などに過去や他の場所からの時空を越えた共鳴作用が働く」ということである。


○超文明の温床的な存在とは、先史文明(1~2万年以前)における

 「カタカムナ超知」における「超物理性」を持つ古代言葉の存在、
 
 そしてそこにある「宇宙的な超知の存在」などを指すものである。

 それは今の歴史上の常識から言えば「あってはならないこと」であり、

 一つのオーパーツと言うべきものである。

 もし、それを「否」と言うなら、そこにおけるそれらの真実を
 
 完全に反証否定出来る証拠を、見出さなくてはならないのである。
 
 それはまさに神の身でも不可能なことであろう。

○理学博士の宮地正典氏が指摘している超古代文献「ホツマツタエ」に記された

 「古代の元素周期律表」の存在、及びそこにおける原子の構造、

 すなわち電子、中性子、陽子の存在仕組み等の説明文の存在、

 これらもやはり古代のオーパーツであり、

 そんなものが古代にあるはずが無いとの単なる言葉のみの否定では済まされないものである。

新説ホツマツタヱ

○また、くしくもここに現れた「神の数学」これも古神道から現れた

 「現代数学」に増すとも劣らない「古代の数の理」である。

 しかも、すべてにおいて、その理の正しさを数ではっきりと証明し、教え諭しているのである。

 しかも、それは「現代数学の理」でさえも覆さんばかりの、

 しっかりした理をもって宇宙自然の本質を諭すように解き放つものであり、

 まったく矛盾の無い理論形式を備えているものである。

 故に私は「意識数学」と呼んで止まないのである。






四象・八卦変化の解説

八卦変化の解説1

八卦変化の解説2

八卦変化の解説3

八卦変化の解説4

八卦変化の解説5

八卦変化の解説6

⑵ 図は基本図から6時間後の四象変化の状態


八卦変化の解説7

⑶ 図は基本図から12時間後の四象変化の状態


八卦変化の解説8

⑷ 図は基本図から18時間後の四象変化の状態
  この図から6時間後、基本図から24時間後には、
  ⑴の基本図に戻り以後同じ変化が循環する。



八卦象変化の解説
 八卦象は地球の公転を示している。
正六面体の四面が四象を抱えて循環する故に八卦象が顕れる。

八卦変化の解説9
⑴ 春 (基本の面)
この正面でA.Bの2つの象と反転A.Bの2つの象の四象が顕れる


八卦変化の解説10
⑵ 夏
この正面でC.Dの2つの象と反転C.Dの2つの象の四象が顕れる


八卦変化の解説11
⑶ 秋
この正面で⑴の後ろの正面が顕れる


八卦変化の解説12
⑷ 冬
この正面に⑵の後ろの正面が顕れる


八卦変化の解説13

八卦変化の解説14



立立体方陣に顕れた八卦象

八卦変化の解説15

八卦変化の解説16

八卦変化の解説17

八卦変化の解説18

八卦変化の解説19

八卦変化の解説20

八卦変化の解説21

「ひふみ九九算表」の立立体方陣の示す八卦象は表面の対極数列面A.Bと

裏面の対極数列面C.Dとの組み合わせから構成されている。

回転結合体として、太古から不滅であり、未来永劫不滅の変化象であると思われる。

検討過程において、表面Aと裏面Cは同一、

表面Bと裏面Dは同一でることが判明した。

(要検証)

八卦象の模様を数で示すと「ひふみ九九算表」の無限拡大版となる。

八卦変化の解説22

八卦変化の解説23

この図は「ひふみ九九算表」を立立体化したものです。

正面に四象、右側面に四象合わせて八卦象が見られますが、

この正六面体が宇宙空間の中で、どのような位置を占めるのか、

次図と比較して検討してください。

次図は縦横を拡大しても、無限連鎖循環模様となっています。

A.B.C.Dの四象と、反転A.B.C.Dの四象とが織りなす八卦象の顕現です。

互いに接触している面同士は対極数面となっていること、

また、斜めの象は同じ面が反転しながら接続していることを、検証してください。

八卦変化の解説24

八卦変化の解説25

八卦変化の解説26


神の易・原図 (ひふみ九九算表)

神の易原図ひふみ九九1

神の易原図ひふみ九九2

神の易原図ひふみ九九4

四象の中で下半分は、反転しているだけで上半分と同じものであるが、

変化の象としては、異なるので、さらに色分けすると

神の易原図ひふみ九九3

神の易原図ひふみ九九5

神の易原図ひふみ九九6

神の易原図ひふみ九九7

神の易原図ひふみ九九8

神の易原図ひふみ九九9

神の易原図ひふみ九九10

神の易原図ひふみ九九11




八卦象の解説

神の易原図ひふみ九九12

のの正六面体を地球儀と考えてみると理解できます。

自然界が周りて巡る環境にあるために、必然的に八つの変化が生じます。

この変化が「八卦象」と言われていることで、未解明の易の真相です。

現実の世界(この世)と霊界(あの世)とが

裏表の構造になっていることを信じることから

「八卦象」の理解が始まります。


「八卦象」の半分は「四象」です。


「四象」は春夏秋冬の季節の変化と同じですから、

まず正六面体の「四象」を図をみながら検討します。


神の易原図ひふみ九九13

神の易原図ひふみ九九14

神の易原図ひふみ九九15

神の易原図ひふみ九九16

以後四象は循環する。 

四変化を繰り返し循環する。

五象から八象は地球儀の南半球に相当する霊界(あの世)の

異次元世界を示すものと考えられます。

「ひふみ九九算表」には自転・公転の八卦象が明確に示されています。

循環数学で初めて解る多次元同時進行の世界の現れです。

神の易原図ひふみ九九17

神の易原図ひふみ九九18

神の易原図ひふみ九九19

神の易原図ひふみ九九20



八卦象は全体が一つの球となり、自転・公転するすることを示すもので、

人の住む世界も霊界を含めて八種類考えられることになります。



神の易原図ひふみ九九21




神の易原図ひふみ九九22



神の易原図ひふみ九九23


神の易原図ひふみ九九24


神の易原図ひふみ九九25


神の易原図ひふみ九九26



続「神の数学」 特別寄稿 6

⑶ 「世界に誇る叡智」が封印されている古神道

木製サイコロ3

長々と講釈を重ねてしまった感がある。

が、しかし、真実の歴史をしっかり理解・認識するには、

どうしても歴史的な時代背景やその周辺事情まで、しかと踏まえた上で、

本当の事実を掴まなければならないのである。

まして戦後の日本は、伝統文化の断絶という楔を打たれ、

先人の築き上げてきた歴史の断絶という洗礼を受け、

戦後70年近くに至る今日においてさえ、

謝罪外交を余儀なくされ、歴史の真実は隠されたままである。

「神国日本」「不思議の国・日本」「顔の見えない日本」などと形容されるが、

不思議と世界の文化が集まってくる希有な国である。

その理由は一体奈辺にあるのだろうか。


そのことを知るためには、超古代の日本の歴史の存在を知らなければならない。

そのことを知ることが我々の務めでもある。

すなわち、本当の歴史的事実を知って、初めて歴史の真実が見え始め、

日本民族の使命というものが解るというものであろう。

また諸外国の教科書で紹介されている「日本神話」は、

その張本人である日本の教科書から姿を消してしまっている。

神というだけで、それはさも宗教であるかのような異常な錯覚に陥ってしまうからである。

それ故に、我々は本当の歴史を知り、

誇りを持って次代を担う子供達にそれを伝承していく、それが我々の務めなのである。


諸兄の有する古代日本の歴史認識は、

教科書通りの「記紀の前には日本には文字は無かった」

「AD285年の漢字の伝来をもって日本の文字の始まりとする」などの

半世紀前の教科書にあるような、まさに時代遅れのものであって、

まさしく歴史の頭脳時計は止まったままの感じである。


日本の学者達は、見事なまでの大陸人の策略陥穽に落ち込み、

そのまま2千年の間、呪縛されたままで現在に至っているのである。

実に愚かなことであり、悲しむべきことである。

最近はさすがに気がひけるのか、年表などからそれらの記載は徐々に削除され、

真実が明るみに出てきつつあるのは大変喜ばしく、又望ましいことでもある。

諸兄もせっかく日本人としての生を受けたのであるから、

日本の正しい歴史、正しい意味での古代歴史期

(日本の「神代」と呼ばれた時代)の素晴らしい「叡智の所在」を知って欲しい。


それは、誰も否定できない「真実の知」であり、

現代西洋知を遙かに超えた宇宙的なレベルを持った「超知」であり、

世界に誇るべきものなのである。


それらを今まで誰も知らず、少

数の進歩的神道学者達だけが、

その存在を細々と訴え続けてきたものである。


「神道には{世界に誇る叡智}が隠されている」

「日本神道の中には全人類の最高の叡智が潜在している」

と叫び続けてきた彼等神道研究家の声、

それこそまさに正鵠を得たものであり、

本当の真実を捉えようとして止まない悲痛な叫びでもあったのである。


日本民族だからこそ、その傍らに何時もあり、

そしてそれを慈しみ助け、それ以外の外国の人々にはまとわり付きもせず、

「知らぬ顔」という一つの不思議さを持った「知の存在」があったことを、

諸兄はご存じ在るまい。

それは常に日本の文明歴史の裏に潜み、庶民歴史の動きと共に顔を出し、

彼等と共に行動を続けていた、まさに「稀代の知」とも言うべきものである。

その「稀代の知」の元々の所有者は我々の祖であり、

遠い純日本民族の頭脳だけに秘められていた「宇宙叡智の宝」とも言えるものである。

その「古代の叡智」そのものと我々日本民族との間には

知らず知らずに共鳴関係が成り立ち、

付きつ離れずの関係をもって、歴史の間に常に顔を覗かせていたのである。

それはいわば、我々の中に流れる祖の「血(道)の霊性」すなわち

我々のDNAの中にまで浸みこんでいる、祖達の魂の為せる業でもあり、

いわば 「大いなる祖達の集合的無意識による時間を超えたシンクロニシテイの発想」と

言うべきものであり、時の循環に護られていたものである。

それが一体何であるかについては、この後のお楽しみである。

すべては宇宙意識(神)の仕組みの業であり、

より深いレベルからの、秩序からの因果律の表れでもある。

それが歴史という時間の波のままに漂い、根付いてしまったもの、

それが「ひふみ・・・九九算」である。

それは、決して日本から離れることは無く、

古代から民と共にあり、今では完全に日本と同化しているものである。

その呼び名の現在名こそが「九九算」である。


木製サイコロ2

続「神の数学」 特別寄稿 5

⑵ 当時の大陸における日本観(中国の古文書より引用)


始皇帝の時代(紀元前200年頃)には、

日本(蓬莱国)は戦争も飢餓もない「神々の住む尊い国」であり、

道を治め長寿者が多いことで有名で、中国人の憧れの地であった。


そのことは、有名な孔子(紀元前500年頃)でさえ、

中国では道がおこなわれていないことを悼み、

『いっそ、海を渡って日本に行こうか』と語っている。 (「漢書」)

当時の日本は争いもなく文治の国であった証拠に、先にも述べたごとく、

秦の始皇帝から不老不死の薬草を、日本で求めるように命ぜられた徐福は

3.000人余りの童男童女を献上品として引き連れ、

護衛のための兵士は一切連れず海を渡って日本に来ているのである。

これは中国の古書にもしっかりと記され、

日本にも伝説として方々に残っているので事実と見てもいいであろう。

それほど大陸の人々にとって、当時の日本は

「憧れの国」「神仙の住む国」として知られていたのである。

争いの無い文治の国、夢の国であったのである。

これらのことを示す中国の古文書から、当時の日本観を見てみよう。


「東方に夷という君四国あり。天性従順にして、治むるに道を以てす」       (漢書の倭人伝) 
「東方に君子国あり,衣冠に剣を帯びる。その人となり譲を好みて争わず」     (漢の地形訓) 
「仁にして生を好む,天性柔順にして。治むるに道をもってす。君子不死の国なり」   (後漢書の倭人伝)
「その年を考えるに或いは百年,或いは八,九十年になる者多し」   (魏志倭人伝〕
「倭人の多くは八,九十歳に至り、或るは百歳にいたるもの多し」   (梁書の諸夷の項)
「寿老多く百余歳のものはなはだ多し」   (後漢書)



如何であろうか。

戦乱に明け暮れ、逃げ惑う敗残兵士にとっては、

又とない「格好の地・空極の極楽の天地」ではないか。

我が身、一族郎党を引き連れて、彼等はしゃにむに日本に向かったであろうことは、

古文書において明らかなのである。


ここで一つ、そのことを示す地理的事実を明らかにしておきたい。

旧来からの学説を是とする学者達は

大陸と日本の間にはだかる大海は往来するに難所であり、

なかなか日本までの旅路は難しいというが、それは大きな誤りである。

確かに、日本から大陸に渡るには、容易ではなく大変な危険を伴うもので、まさに命からがらである。

しかし逆な方向、すなわち大陸から日本に来るには、実に簡単なものであり、

ほとんど危険が無いことを彼ら学者達は知らないのである。

要するに流れる潮に乗れば、わずか3日か4日の旅路で簡単に日本に到着するのである。

それでも疑問を持たれる諸兄もおられるであろう。

そこで参考までに「歴史の真実を真摯に追求する学者達が示すデータ」を以下に示したい。


【1】
ここに一つの報告がある。
それは、ある調査(平成11年3月19日の産経新聞)によれば、
弥生人と中国揚子江下流で、発見された人骨の遺伝子が完全に一致したとのことである。
また国内の遺伝子鑑定では、現在の日本人の7割は弥生人、すなわち中国系であり、
その他の3割はそれ以外とされている。
〔それ以外とは南方系、朝鮮系、それに在来純日本民族の縄文人であろう〕。

【2】
「縄文晩期」〔紀元前200年、始皇帝が帝国を打ち立てた頃〕、
日本人の人口は7万5千人であり、それが7世紀に450万人に増加するには、
約150万人の大陸からの渡来者が在ったことを意味し、
当時の縄文人直系と渡来人の人口比率は1:9の比になる。
(「日本の歴史」佐々木高明著より)

【3】
自然人類学の埴原和郎・東大教授の調査研究によると
「紀元前300年から紀元後700年までの1000年間の日本の人口増加率は、
世界のどの民族に比しても異常に高く、自然増加だけではとうてい説明が出来ず、
海外からの渡航者という要素を考えざるを得ないという。
その比率は、在来人1に対して25、少なく見積もっても1対9という逆転した数字になり、
当時、ものすごい勢いで日本列島へ、戦乱難民渡航者が
次々と流れ込んでいたことが推測される」とある。
〔「科学朝日」1988年2月号より〕

【4】
戦乱を逃れて日本列島に入り込んだ大陸人とその子供達は、
先住民である縄文人を次々と襲い、完膚なきまで駆逐した。
そのような弥生人(大陸人)の東進史と先住民(縄文人)駆逐史を、
現代日本人は「日本の古代歴史」と信じ込まされているのである。
なんと言うこと。
〔「間違いだらけの歴史教科書」斉藤忠著より〕

【5】
弥生人とは如何にも後続縄文人のように思えるが、そうではない。
彼等は大陸の敗残戦士達が群れをなして、日本列島に襲いかかり、
縄文人を駆逐して日本を奪い取り、自分たちの天下国家をつくり上げた者達の集団名である。
名前の由来は東京・本郷の弥生町から縄文人と異なる骨格をもった人骨が多量に発掘され、
その地名をとって命名されたのである。
当時の命名者もこの名付けにはだいぶ苦労した要で、
当たり障り無く、発見地名をもって、人種名前としたのである。
なぜなら、大陸勢が日本を乗っ取ったなどと言おうものなら、
それは即皇室否定につながり、不敬罪に処せられるからである。
だから、柔らかく、そこで縄文時代が終わり、弥生時代に入ったと言うにとどまったのである。
歴史家ならそのあたりの隠された陰の部分をもっと斟酌すべきであろう。
(詳細は「神の法陣・講座8」参照)



全国で7~8万人の当時の縄文人に対し、数十万(少なくとも9倍で60~70万人)、

多くて数百万人(多くて25倍、200万人)の血に飢えた敗残戦士達に囲まれた場合、

どうなるのか想像に難くない。 

是により、一気に縄文時代は滅び、日本は弥生時代へと移行したのである。

それにより、日本独特の「神代文字」などの伝統文化的な「知」は全て否定され、

代々伝えられてきた<神典><宝物><御宝古文書>類は強制的に集められ、

ことごとく焼却廃棄されたのである。


そのあたりの事情(歴史的背景)は複数の超古代文献等に記されているが、

誰も取り上げようとせず、偽書扱いするだけで、一切問題にもしていない。

要するに、彼等大陸人の習性である先代の王朝遺物の存在否定が激しく行われ、

それにより、すべての伝統文化・遺産知などは、ことごとく踏みにじられて

跡形も無く消し去られたことは、歴然である。

学者達が語る「神代文字は無かった、存在しなかった」と語るには、

歴史の表面のみを見て、背後にある時代背景や、

そのつながり等の歴史的情勢を考えようとしなかったことが原因であり、

それ自体を自ら暴露しているものである。


縄文人の寿命は平均30歳程度であったと得々として述べているが、

彼等考古学者は発掘されたわずかの人骨の鑑定のみをもって、推論しているに過ぎず、

先に紹介した大陸の古文書が記す内容など全く知らぬ

「単眼的な知や短絡的な物の見方」しか出来ない頭脳を持った

単細胞な専門馬鹿としか言いようがないものである。


続「神の数学」 特別寄稿 4

⑵ 戦乱によって大陸から逃れてきた敗残戦士達の大群


その歴史的事実とは

「紀元前後あたりの日本原住民(縄文人)は何度も滅亡の危機に瀕し、生命を脅かされていたということ。

また、その度ごとにそれまでの<万古文物><神典古文書><御宝書き>等は

次々と奪われ失われた」と古史古伝は伝えている。

その滅亡の危機をもたらした最大の原因は、

天変地異と思われがちであるが、実はそうではなく、もっと悲劇的なものであった。

それは大陸における戦乱と深く関係し、その度に多数の敗残難民達が徒党を組んで、

死にものぐるいで日本に押し寄せ、大殺戮が繰り返されたと古文は伝えている。

おそらく敗れた王侯・貴族・将軍達や部下が、

その家族諸共、死を覚悟で隊を組んで海を渡ってきたと思われる。


それまで長い間、平和な暮らしに慣れて文治をもって生活していた縄文民族は、

為す術も無く、情け容赦なく殺戮されるか、あるいは奴隷として従う以外には、

生きる道は無かったと言えよう。

それが古来の「奴」という低い身分制度なのである。



今の天下太平の日本人には、信じられないことではあるが、

杉山徹宗著「中国4000年の真実」によれば、


① 紀元前5~3世紀にかけての戦国時代
② 前2世紀あたりの始皇帝の中国統一期(紀元前2世紀)の戦乱
③ その後の前漢の勃興あたりの大戦乱
④ 紀元後の後漢から三国時代の争い



これらの王朝交代期には、必ず数十万から数百万の戦死者

(捕虜はすべて生き埋め)が出るのが通例であった。

また、新しい王朝の慣例とは、前の王朝に関わった者の家臣はもとより、

家族・係累等は全て捕らえられて始末され、

その度に数百万、数千万の人々は難を逃れようと国を出るのが常であったのである。

(それに飽き足らず、建物や備品、その上皇帝の墳墓まで破壊し、影も形も残さないようにすること。

それが人民に知らしめ、見せつけることが支配を安定させる必須条件と考えられていた)

これらの事実云々は、今の日本人の常識では判断できないことであろう。

ただ先の文化大革命によって、数千万人の人民が殺戮されたことは、

こうした歴史を物語るものである。


それほど我々日本人とは風習・観念が違い、考えが異なるのである。

ここで当時の記録を引っ張り出し、それを紐解き、

大陸と日本の関係や時代背景を考察してみることにしよう。


残念ながら、最大級の殺戮や生き埋めがあったとされる

「秦の始皇帝」(B.C221年)の時代の記録は全くない、おそらく数千万の単位であろう。

しかし、秦帝国が戦乱により滅び去った時には、

おそらく数十万の敗残戦士が一党、家族を引き連れて日本に向かっているはずである。

なぜなら、当時の日本は「神仙の国」「長生の国」として、

彼の地では名を馳せ、彼の地の人々の憧れの国でもあったからである。


秦の始皇帝でさえ、一度ならず二度も日本に向けて文人「徐福」を派遣し、

貢ぎ物として五穀の種、諸々の工人、それと良家の稚児男女数千人を

献上品として船積みし、日本に向かわせたのである。

その際には兵士の類いは一切乗せなかった、と古代文献には記されている。

それらが語るそこに秘められていた事実とは、一体何であろうか。


確かに当時の日本の国は「文治の国」「神仙の国」とその誉れは高かったのである。

一説によれば、始皇帝の最後、自ら日本の国を目指したが暴風のため山東に引き返して、

そこで病気になり50才で没したと伝えられている。

故に、彼等の風習から考えると、その後に起きた数々の戦乱によって、

故郷を追われた敗残兵士達が日本を目指し、

死にものぐるいで船出したことは、充分に想像できるところである。

もし、その事実が無いとするならば、

そのこと自体が逆に不思議で、あり得ないことと言わねばならぬ。

例えば、その7~8割が海の藻屑と消え、あるいは他の国に逃れたとしても、

日本に辿り着いた人数は何十万という大変な数に上ったであろう。

とにかく「大陸の戦乱と人口の増減には大いなる関係がある」と歴史家は述べている事に注目して欲しい。


次に示す資料を見ながら、その殺戮や逃亡の凄まじさ、

命からがらの敗走の様子を想像していただきたい。


【1】
残念ながら紀元前500年~200年あたり
最も肝心な「春秋」「戦国時代」の記録、及び最大級の殺戮、
生き埋めがあったはずの「秦」の始皇帝の時代の記録は無い。
ただ時代の名前から分かるように、始皇帝は外来の王であり、
この期は最大級の戦闘に明け暮れていた時代で人口の増減も激しかったと推察さる。

【2】
「前漢」末の人口5.959万人が王朝が交代した55年後には
2.100万人とわずか50数年で4.000万人近い人口が減少している。

【3】
「後漢」が最も繁栄を誇ったとき(AD159年)の人口は5.649万人。 
対して「後漢」が滅び「三国時代」が始まったころ(AD230年)には、
なんと1割強の763万人に激減している。
わずかの間に9割、すなわち4.800万人の人口が完全に消滅しているのである。
一体何処に消えたのであろうか。

【4】
三国時代を統一した「晋」(AD280年成立)の人口1.616万人が、
その後「隋」が統一したとき(AD580年)には900万人に減じている。約半分。

【5】
信じられない、いい加減な数字であるとは言わないで欲しい。
その証拠として最近の記憶に新しい『文化大革命』(1970年頃)では数千万人、
天安門事件(1989年)では数百万人が虐殺されている。
それらの真相も知らず安夢に耽っているのは、おそらく日本人だけであろう。

(* 数字引用『中国4000年の真実』 杉山徹宗著より )

   


果たして、この各戦乱の度ごとに失われたとされる

数千万単位の人々は何処に消えたのであろうか。

全てが殺戮や生き埋め等にされたとは考えにくい。

例え半分は殺戮されたとしても、半分はどこかへ逃げ出したと考えるべきである。


問題は、その彼等の目指した地(逃亡先)、希望をはらんだ戦争の無い平穏の国である。


続「神の数学」 特別寄稿 3

⑴ 日本に秘蔵封印されてきた歴史的事実とは < その背景と考察 >

要するに「魔方陣」は自然が醸し出した自然の作品、

いわゆる「神の手になる作品(神意のままの・人為のないもの)」ではなく、

人知の産み出したレプリカ品(模造品)、すなわち手慰みの作品なのである。


よって、そこには一切の「宇宙の真理」の存在は無く、在るのは「無為」「空虚」だけである。

そのようなレプリカを果たして誰が作り、誰が広めたのか、

そのあたりの歴史的事実を文献により考察してみると、真実がだんだん見えてくる。


その一つ、超古代文書「竹内文書」には

「伏羲、神農の両名は36年間留学生として滞在して、

< 易 >と < 薬学 > を学んで日本を去る」 と述べられている。

これが事実だとすれば、彼等が日本から祖国(現在の中国)に< 易 >を持って帰り、

あたかも自分が見出したように振る舞っていたのであろうことが、容易に想像がつく。


また、「易の基本は方陣(3次方陣)にある」として、いろいろ神話的な物語、

すなわち「神馬の旋毛図=河図」とか

「神亀の背の図=洛書」を創り上げたということが事の真相であろう。



ところが、いくら誰がやっても「方陣(3次方陣)からは易の全象、

すなわち < 太極 >< 両儀 >< 四象 >等が姿を顕すことは絶対にありえない)のである。


要するに、伏羲は日本を去るとき、風聞による知識のみ、

または「方陣サンプル」とその処方あたりを持たされて、意気揚々と帰って行ったのであろう。

それがすなわち、「3次方陣=魔方陣」と言われる「易」の本体そのものなのである。

考えてみるがいい。

日本民族の「伝統叡智」であり、誇りである「全知全能の超知」というべき宝を

一介の単なる外国留学生の渡すはずはなく、

伏羲はまんまと騙されて「レプリカ方陣」を持って意気揚々と帰って行ったというのが真相であろう。


何故、私がそこまではっきりと断言できるかと言えば、

私が、その「易の原図である本物の図」をしっかりと所持しているからである。


それは一つの「方陣形式の図」であり、「真理の図」の形になっているものである。


しかも驚くべきことに、それは「易の全象」である

< 太極・両儀・四象・八卦 >の秘密を全部合わせ持ち、

その全てをまがうことなく開示しているものである。


これこそが本物の「易の原図(基本図)」であり、

宇宙の全容すべてを内蔵している「天啓の図」、

すなわち「自然の構図」そのものを謳っているものである。


それは数千年来、日本に封印秘匿されて現在に至り、今その本性を告げているのである。
   


話は、さらに佳境に入る。

諸兄の持つ全知全能を奮い、かつ神経を研ぎ澄まして聞いて欲しい。

そこにあるのは何人の想像をも超える日本歴史の超古代の封印を解く事であり、

今は失われた日本上古代における真実を再び世の中に甦らし出すことでもある。


歴史の真実が、何故こうも完全に失われてしまったのか。

真の歴史学者の中には、ある程度は感づいてはいるであろうが、決して口には出さない。


なぜなら、それを口にしたら最後、彼等の学者生命は終わりを迎え、

その分野から追い出されて、路頭に迷う羽目になることを知っているからである。


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ホクラの梅

Author:ホクラの梅


「神の数学」佐藤敏夫先生の後継者である、梅村一彦先生主宰のWEB進化版「神の数学 梅のはな開花塾」へようこそ♪

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インターネット上に公開されている「神の数学」を御覧下さい。

当塾はトリの正体である循環数学を解説しています。

神のメッセ-ジ・コ-ドを紐解き『数の世界(意識世界)』の扉を一緒に啓いていきましょう。

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